問答無用!でホントにいいの?
梅雨の中休み-。早朝から一年生の長男を連れて日野山に登りました。雨上がりで岩肌が滑りやすく、ハイキングの経験しかない彼は真剣そのものです。あとすこしで頂上、「ガンバレ!」という、まさにそのとき、携帯電話がなりました。妻からです。さては激励の声か?寝起きの不機嫌そうな声で、「今、どこ?玄関の鍵、ちゃんと掛けていってよね」。
「健康増進法により、学校敷地内での喫煙を禁じます」
市内の小学校の校庭で張り紙を見かけました。5月から「健康増進法」が施行されたのは知っていましたが、学校敷地内での喫煙も禁止とは、かなり厳しいなあ…保育園でもそうしないとダメか?と、文言を調べてみました。
「受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずるよう努める」
全面禁煙にしろとは書いていません。どうやら、法律を盾ににして、この小学校ではお父さんたちの煙草を締め出すチャンスにしようと捉えているようです。夏休み明けには市内全校が一斉に全面禁煙になりそうな勢いです。受動禁煙を防ぐやり方は他にもあると思います。横並びの思考停止に陥ることなく、各校が主体的な判断をされることを願っています。
男女共同参画も、禁煙も、言っている事、やっている事は誰も反対することのできない、まさに正義です。私自身は煙草も吸いませんし、家では洗濯以外の家事をしていますしが、もし、私が超亭主関白でヘビースモーカーだったらどうでしょう。周囲から「悔い改めよ!」といわれてばかりいそうです。めざす目標はよくとも、このやり方では意固地になる人も多いのでは-。そういう人に限って、いちばん変わって欲しい人だったりしませんか。
お釈迦様は「対機説法」といって、その人の状態に合わせて、その人にふさわしい教えを説かれました。「応病与薬」ともいいます。誰にでも「ひとつ、やってみようかな」と思わせるような工夫をみんなで考えるべきでしょう。
経済低迷の反動か、社会不安の裏返しか、世の中全体がすべからく性急で、管理的で、妙に完全や純粋を求める傾向にあるのを感じます…。完全な人は一人もいません。人間はお互い、価値観の違いを認め合い、多少のイイカゲンさも認め合い、迷惑をかあい、補いあって生きていけばいいのではないでしょうか。
昭和の世がなつかしく感じる人が多いのは生活に「におい」や「味」があったからではないか…と考えたりします。それに比べて無臭、無菌指向の平成の世、居心地があまり良くないです。
理科の実験で使う「純水」を飲んだことがあります。これが無味でマズイのです。お金を出して買う「ミネラルウォーター」の「ミネラル」は「鉱物」です。鉄、マグネシウム、マンガン…要するに「石ころ」です。谷川の水、湧き水のウマさはまさに身体に必要とされる「不純物」の味に他なりません。
「大道すたれて仁義あり」(老子)。
歴史を振り返ると、正義が声高に叫ばれたときって、あんまりいい時代ではないようです。