坊、きたんか

おじいちゃん、おばあちゃんの会ではお孫さんとパンを作っていただきました。パンのお味は格別だったことでしょう。祖父母のみなさんの子育ては一世代前、バブル景気のなごりの頃。仕事と家事に追われて時間も猛スピードで過ぎ去ったのではないでしょうか。そのお子さんたちが結婚して、授かったお孫さん。とくに子育てなんてロクにしたことがなかった?おじいちゃん、メロメロでしたね。

私のおじいちゃんの思い出。父は子煩悩でしたが、躾や勉強に関しては厳格で、大声で怒られることはしょっちゅう。だから?勉強がキライでした。大泣きの余韻を引きずりつつ、別棟の本宅の居間にいくと、そこにはいつもテレビをみているおじいちゃん。ふすまを開けると「坊、きたんか」「お菓子あるや」いつもお客さんの手土産の各地のお菓子がありました。新宅で父の怒りの嵐が吹こうが、昼間、学校でどんなに叱られようが、(何にも知らない?)おじいちゃんのお家だけは別。ほんとうに安心安全な場所でした。お寺(宗派)では最高権力者である祖父が、私にはやさしいおじいちゃん。こんな、ごくふつうの日常の思い出が、いまも私の心の支えになっています。

親というものは子どもの未来を志向するあまり、つい何事もススメ!ガンバレ!マケルナ!と言ってしまうもの。かたや祖父母は孫の今に寄り添い、今を認めてくれる存在です。「どうしたの?」「がんばってるな」のひとことが、どれだけの支えになることでしょう。

無条件のやさしさは、心の栄養となってお孫さんの見えない力になっていきます。ジイバアは、当然、孫より先に命を終わることになりますが、やさしさという遺産を孫に残せます。いっぱい、かわいがってあげてください。幼い頃にやさしくされた子だけが、やさしい人に育つのです。「できる人」と呼ばれるよりも「いい人」「やさしい人」といわれる人に、なってほしいと思いませんか。

若い頃、たった一年間でしたが、中国に留学していたことがあります。広州にある中山大学。広州は日本の大阪のような街です。政治には無関心。混沌としていて、人々は商魂たくましく、四本足は机と椅子以外なんでも食べる!といわれるぐらい食欲旺盛、良くも悪くもエネルギッシュで、退屈しませんでした。それでも社会主義国の不自由さもあり、月に一回ぐらいは列車で二時間ほどかけて隣の香港に息抜きに出ました。まだイギリス領、女王陛下の香港は誰に媚びることもなく、堂々としていました。宝飾店やブティクの隣にお肉屋さんがあるような、自由でおおらかな街。まくしたてるような広東語。道教寺院のお線香の煙…。夜景は宝石箱のようでした。なつかしいです。そんな香港に今、催涙弾と火炎瓶が飛び交っています。もうあの香港には戻れないのでしょうか。若者たちの悲痛な声が刻々と投稿されるツイッターをみて、心を痛めています。クリスマスぐらいは「休戦」になるとよいのですが。

保育園に向かう道、青空を背景に、はっとするようなモミジの赤。黄金の柱のようなイチョウ。気持ちのいいお天気も今週までで、いよいよ来週からは冷たい時雨。タイヤも交換しないといけませんね。実感はないけれど、一ヵ月後にはお正月。ねずみ年。長男は二度目の干支を迎えます。光陰矢の如し、です。

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