やわらかくて かたくて つめたくて あたたかい
ロシアでは2月を「光の春」というそうです。寒さは依然として厳しいものの、お日さまの輝きは違ってきています。道路わきの雪も汚れて小さく固まっています。車庫から車を出すのに1時間、そこから会社に行くのに2時間。あの大雪の苦労は水となって消えました。
晩のおかず、どうしよう…通勤だけでなく、買い物にも結構苦労しましたね。昔の生活圏は歩ける範囲でしたし、食料についても大根や白菜は雪に埋め、漬物やへしこといった保存食もあれば十分でした。毎日、会社に通い現金を得て、新鮮なお肉やお魚を食べている私たちがいまさら「スローライフ」に戻れるわけもありませんが、1メートルの雪で簡単に崩れる現代生活のもろさを垣間見た気がします。
年末、雪の園庭に出てきたとき、1歳児はその場で立ちつくしていました。一歩を踏み出そうとしては転び、泣いていました。初めての経験。いきなり体の自由がきかない真っ白な世界に入り込んで頭の中が混乱したことでしょう。それから一ヶ月…。9時半になると毎日、ちっちゃなツナギ姿の一団が園庭に出てきます。よいしょ、よいしょ…ふたば山に登って、すべって、大の字になって笑っています。
担任たちは本山の屋根雪が落ちきるのを待ち構えていました。屋根雪が落ちて出来上がった「雪山」は高さ4メートル。固くしまって、みごとな三角形を作ってそびえ立っています。エベレストみたいです。子どもたちは一斉に峻な斜面にとりついて、よじ登ります。手でしっかりと凸凹をつかみ、つま先を壁面にくいこませて登る姿はまさに、「登攀」(とうはん)。途中で足がかりを失い、「あれーっ!」と、あえなく滑落しても、再び頂上を目指します。こんな遊園地、楽しくないはずがありません。そのうち、ほかのクラスもやってきて、「山頂」から眺めると、色とりどりのウェアを着た子どもたち、モノクロの境内一面に五色豆をまいたみたいにカラフルです。
すみれ組は泊りがけでスキーを体験してきました。「乗りた~い」と、リフトで上がったものの、ちょっと滑ったら派手に転んで大泣き。雪まみれになって、はや挫折か…と、思いきや、「もう一回いく。今度こそ泣かん」と、きっぱり。よっしゃ、がんばるか!
なだめたり、叱ったり…押したり、引いたりの親子の苦闘は続きます。それでも回を重ねるごとに着実に上達。後には子どもがさっさとリフト乗り場で待ち構え、「お父さん、早くいこ~」。毎年のように見られる、微笑ましい光景です。
今はスキーができるようになった喜びに隠れていますが、子どもの心に本当に残る思い出は、お父さんやお母さんが斜面であきらめず、突き放さず、一緒に苦労してくれたこと。幼い子がゲレンデで一人、倒れているときの孤独感、絶望感を考えれば、手を差し伸べ、寄り添ってくれる人がどれだけの力を与えることか。スキーができたことよりも、できるまでのプロセスが、なによりの宝物なのです。
柔らかく、硬く、軽く、重く、冷たく、そして暖かい…雪。便利さを当然のごとく享受している現代人の慢心を戒め、子どもと戯れ、育ててくれる雪。春の喜びを教えてくれる雪。雪国に生まれ育ってよかったと思っています。