それでも怪獣になりますか?
友人の結婚式で広島に向かう新幹線の車中。斜め前の席に親子が座っていました。母親は上機嫌で一方的におしゃべりしています。男の子は小学校6年ぐらい。
「なつかしいわ。このへん京都ね。あの山はね、比叡山よ。この川は淀川よね。(実際は西山と桂川)」母親の性格をよく知っているのでしょう。男の子は適当に相槌をうって景色を眺めています。やがて、お母さんが「43都道府県」と言ったのが聞こえました。「確か、学校で47都道府県って習ったんだけど…。」と、男の子は控えめに訂正しました。すると、お母さんは急にトーンをあげて猛然と反論をはじめたのです。「そんなデタラメいってはいけませんよ。テレビのニュースでいつも43都道府県ていっているじゃないの。ちゃんと勉強してないからよ」「でも、学校でね、1都1道2府43県て…」「そんなに言うなら、調べればいいのよ」「先生が…」「先生がおかしいんだわ!最近の学校も変わってるから」「教科書にもそう書いてあっ…47って…(半泣き)」「調べもしないで言わないの!あなたね、間違っていることを認めないのも悪いのよ!」「……」
親子は新神戸で降りました。「ごめんね、お母さんが間違っていた」といえる人ならいいのですがー。男の子の健やかな成長を心から祈りました。
幼い子の親として、私自身も普段、子どもの話に謙虚に耳を傾けているかな…そういえば、最近、特に「なぜ?」が増えてきたな…きちんと答えているだろうか…反省させられました。
5歳のとき、父に「カイジュウ(怪獣)って何?」と聞いたことがあります。「やさしくお話して相手を仲間にすることだよ」と教えてくれました。お察しのとおり、それは「かいじゅう(懐柔)」だったのです。私は釈然としなかったのですが、「ウルトラセブンはカイジュウがいつも悪いことをするから、やさしくして、いい人の仲間にするんだな」と勝手に納得してました。高校生になって、その謎がとけたときには思わずふきだしてしまいました。
今思えば、おそらく父は「なんて難しいことを聞く子なんだ」と思いつつ、めんどうがらずに、まじめに「懐柔」を説明してくれたのでしょう。幼い私を一人の人間として尊重してくれていたのだと思います。
親はついつい、子どもは子ども、親の言うことを黙って聞いていればいい、と思いがちです。親子は一心同体ぐらいに考える人もいます。確かに、きづなは大切ですが、実際には「一心」でも、ましてや「同体」ではない。どんな小さな子どもだって一人の人間。たとえば子どもが間違ったことをしても、頭ごなしに叱るだけでなく、説明して納得させることや、時には、その行動の背景はなんだろう、と考えてみるのも必要かもしれません。
「カイジュウ」(怪獣)になるより、「カイジュウ」(懐柔)するほうが、いい?チョットちがうかな…。