本山野球
「理事長先生って、キャッチボール、できるんか?ホントに?軟球やで?」
境内で遊んでいる学童の男の子。生意気です。私も見くびられたものです。さっそく家からグラブを持ってきて バシッ!とストライクを決めると、みんなの目が変わりました。息子の少年野球に熱中していたのは十年前。ヘタッピ息子とシロウト親父の二人三脚。いっしょにいっぱい練習しました。身体が覚えているのです。一時間、久しぶりに、いい汗かきました。
「よっしゃ!ナイスボール!あと10球!」 その得意げな笑顔、いいねぇ。
キャッチボールは相手の胸をめがけて投げます。取り易いからです。暴投したら先輩でも「ごめんごめん」「わりぃわりぃ」ってあやまります。やりとりするボールに、心も乗っけているのです。機会があったら、学童さんともっとキャッチボール、したいです。
かつて、境内では毎日のように子どもたちが野球ごっこをしていました。その名は本山野球。鐘楼前がホーム。銀杏の木が一塁。灯篭が二塁。松の木が三塁…って。
基本的に野球のルールなのですが、その場に集まった子で楽しむので、年齢もレベルもさまざま。たとえば低学年の子が「つまらない!」って抜けると、とたんに人数が足りなくなって困るわけです。ですから、この子のときは下からゆるく投げる、この子は三振なし、この子は走らなくていい(完全代走)…とか。そのつど、高学年の子たちが柔軟にルールを変えて、みんなが楽しめるように工夫をしていました。ときにはケンカにもなりましたが、次の日には何事もなかったように、境内にきました。だって、楽しいから。子ども同士の育ちあいの場所でもあったのです。初老の人からも同じ話を伺いますから、順送りで何十年間も引き継がれていたということになります。
境内で子どもの姿を見なくなったのは二十年ぐらい前でしょうか。ちょうどスポ少が盛んだった時期です。スポ少は見事に元気な子の受け皿になったのです。礼儀と規律の中、親がチームの勝敗とわが子のプレーに一喜一憂するスポ少野球は、いわば高校野球のミニチュア。いい面もたくさんありますが、一方で、わが子かわいさのエネルギーがマイナスに作用してしまい、自分たちが託したはずのカントク批判、ときには親同士の諍いになったりしました。いまになれば、どうでもいいことなんですよね。熱くなりすぎたんです。
いま、わが子の少年野球に入れ込んでいる父親だって、野球ごっこで育ったはずです。本山野球、復活しないかなぁ。境内は空いているんだけど。
夏休みも今日でおしまい。最後に残るのはやっぱり読書感想文に自由研究。今年は早めにやるつもりだったのに…ねぇ。始業式済んでも、この土日が勝負?親子二人三脚で困難なハードルを乗り越えると、思い出になりますよ。