《ある》と《なる》。ゆれるヤジロベエ。
春は、やっぱり来るんですね。当たり前ですが、ずっと冷凍庫の中みたいな日が続いていたので、氷河期になったかと…。ようやく、春爛漫です。
天にも届くような大声を張り上げた威張りんぼうの孫悟空、わが子をザリガニから命がけで助けようとする健気なカエル夫婦、ヤンチャな小鬼くん…みんな、それぞれに個性をいっぱい発揮して、ほんわか、あったかい生活発表会でした。
思い出しました。6年前、三男がすみれ組のときも孫悟空のお話でした。息子は三蔵法師の役。ほかのお友だちと三人で演じました。甘えん坊で幼い彼は、はっきり自分の台詞が出なくて、あっという間に終わってしまいました。う~ん、ちょっと残念。それでも、家に帰ってから、「よくできたね~」って、イイコイイコして、彼が大好きな回転寿司にいきました。秋になって、今度は小学校の学習発表会。一年生は、おしりかじり虫のダンス。まわりの子とシンクロしてバッチリ踊っています。なんて立派な姿…。じわ~っ…目に涙が溜まって…。会場が暗くてよかった。感動したよ~、回転寿司いこうな…親バカですね。
大人の私たちもそうですが、子どもには特に、いまここに《ある》自分と、これから《なる》成長していく自分があると思うのです。期待や夢といったものは《なる》側面にあたるのですが、できるように、勝てるように、将来のため…どうも親は、前へ、前へと、先を急ぐ傾向があります。やっかいなのは、親にとって、わが子の《なる》はすごく魅力的で、これでいい、ということにはならず、次はこれ、今度はこっち、期待はとどまるところを知りません。もちろん、ときには子どもの背中を押したり、刺激したりすることも必要です。でも、親の関心が《なる》に振れ過ぎると、いつもわが子に何がしかの不満を持つという、不思議なことになります。いま、喜怒哀楽を丸ごと親に、無条件に身をゆだねてくれるわが子が《ある》、最高の幸せがここにあるのに―。
本棚から長男の野球のユニフォーム姿の写真が出てきました。下手くそでしたが、少年野球、毎日、楽しそうでした。ほんの五年前なのに、ずいぶん昔のことのように思えます。親の期待にも沿って、高校に入りました。夜、部活を終えて帰宅したら夕食もそこそこに仮眠、夜中に起きて勉強の日々。私とゆっくり語らう時間もなく、再来年には大学に行って親元を離れる…これでいいのかな、それが普通なんですよね。どちらかといえば長男は、ガンバレ、もっとガンバレ…どちらかといえば《なる》に偏った子育てだったのかもしれません。
真ん中の子はいよいよ中学三年になります。プラモデルの腕はメキメキあがっていますが、勉強にちっとも身が入りません。妻のイライラの矛先が彼の理解者を自負する私に…。こりゃいかん、今まで《ある》を重視しすぎたかな…「コラ、受験まであと一年しかないんだぞ!」これから《なる》に強烈に向かわないと、タイヘンなことになりそうです。
子育ての季節は、あっという間に過ぎます。子どもの《ある》と《なる》。その折り合いはどこなのかな、ああ悩ましい。揺れるヤジロベエ。でも、私はやっぱり《ある》派かな。妻はあきらかに《なる》派です。それでいいのかもしれません。
春めいてきたら、実感がわいてきました。すみれ組のみんなはもうすぐ卒園。ピカピカの一年生になります。お子さんだけでなく、親も祖父母も、みんないっしょにたくさんの思い出を作ってきた保育園です。心のふるさとにしていただけたら、うれしいです。