甍の波と雲の波
若いお父さんお母さん、これが、もうひとつの「鯉のぼり」の歌だとわかりますか?
「屋根より高い鯉のぼり…」も昭和はじめの曲で、それなりに古いのですが、「甍の波…」はさらに古く、大正時代の作。私が小さなころにはまだ聞くことができましたが、難しい歌詞が時代にそぐわないのか、今はすっかり歌われなくなっています。
実は、鯉のぼりは「おもしろそうに泳いでる」わけではないのです。鯉のぼりの風習は黄河上流の龍門という滝を登りきった鯉は天に昇って龍になる―。という中国の伝説を元にしています。コンテストや試験をよく新人の「登龍門」といいますね。古いほうの歌では「百瀬の滝を登りなば 忽ち竜になりぬべき」と歌っています。わが子よ、たくましくあれ…との願いがこもった鯉のぼりなのです。歌詞には「舟をも呑まん」「空に躍る」「物に動ぜぬ」かっこいいと思いませんか。父を超えて、龍になれ!という雰囲気が伝わるこの歌のほうが、私には、共感できるのです。
ご本山の向かって左、鐘楼側の門の柱に鯉の滝登りの彫刻がありますが、これも登龍門を題材にしています。しかも、がんばって滝を登っている鯉のヒレが、変わっています。いまにも「手」に変化しそうな格好をしているのです。見れば見るほど、こうやってググッと踏ん張って滝を登っていくうちに龍になるのか…と思えてきます。200年前の職人さんのセンスは今でも新鮮なのです。
13年前、初孫の初節句だ、鯉のぼりを買ってあげないと…妻方のおじいちゃんは張り切りました。届いた鯉のぼりの箱の大きさ、長~いポールを見てびっくり。大人三人がかりで、汗びっしょりになって立てました。大きな鯉が船の帆のような音をたてて、五月の空にゆったり泳ぐさまは、確かに迫力がありました。が、風向きによって巻きついたり絡まったり…ときには隣家まで泳いでいったり、実に世話がやける鯉でした。息子たちが大きくなって、最近は蔵に入ったままです。
妻の父は一昨年に亡くなりました。大きな大きな鯉のぼりを贈ってくれた、おじいちゃんの願いは孫たちに伝わっているでしょうか。「ほいくえん イヤー!」と、毎朝、車のシートにしがみついて抵抗していた長男も、いまでは中学生。背丈は、私をとっくに越えています。息子たちの行く手には多くの急流や滝が待っているでしょう。龍にならないにしても、強くやさしく育ってほしいと思っています。
保育園の子たちは、五月の空を泳ぎはじめたばかり。慣れないお子さんを保育園に連れて行くのはひと苦労ですね。いつまでつづくのかな…気持ちが重くなるときもあるでしょう。あんな日もあったな…と懐かしく思える日が、必ずきます。2481人の園児を送り出してきた私たちに、お任せください。
私は子どもと手をつないで歩く保育園の行き帰りの道が、楽しみでした。「さくらの花びら、あるいてるね…」朝から、幼いわが子のこんな言葉がきける幸せ。保育園のときしかありません。みなさんも、季節の変化や会話を楽しみながら通っていただけたら、うれしいです。