お多福がやってきた
ひまわり組の三男が髄膜炎になってしまいました。おたふくかぜにかかり、医師の診断を受け、自宅で三日ほど元気に過ごしていたのですが、その「元気」が曲者でした。いつもと変らず遊んでいるときも、確実にウィルスは増殖していたのです。急に元気がなくなり、珍しく自分で毛布を敷いて横になりました。夜中には高熱を発し、翌日もぐったりしたまま。小児科にいったら、即、日赤に入院となりました。
三人目になると、数え切れないほど子どもの病気を経験しているので、忙しさにかまけて、「これくらい大丈夫」という油断がありました。何事にも慎重だった第一子のときはこんなことにはならなかったはずです。背中への注射や点滴など、痛い思いをたくさんさせてしまいました。「おうちにかえりたいよ~」と泣く我が子に、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
おたふくかぜは幼児には身近な病気なのですが、5%ぐらいは髄膜炎を発症するそうです。たとえ元気にしていても、我慢我慢。お医者さんからOKが出るまでは、安静に過ごしてくださいね。
当然ですが、二人がいない間は妻の家事を丸ごと背負いました。掃除、洗濯、子どもの身の回りのこと、宿題、学校の用意…一つが終わるとまた次のこと、朝から子どもたちが寝るまで、ホッとする暇がないのですね。普段から家事は分担しているつもりだったのですが、せいぜい1割程度だったと判明しました。入院は5日から7日程度という期限があるので、気合が入っていましたが、これが毎日続くとなると、途方にくれます。その家事の上にお勤めをしている保育園のお母さんたち、ホント頭が下がります。
長男と次男も孤軍奮闘する父の背中を哀れに思ってか、普段より素直に言うことを聞くし、率先して手伝いをしました。部屋もすっかり片付きました。やればできるんです。私たち男性陣は母であり、妻である彼女に対して、どこかに甘えがあったのです。
病院から戻ってきて四日が過ぎました。夕方、私が帰宅すると、居間のテレビはつけっぱなし、三男はきかんしゃトーマスのおもちゃに囲まれてご満悦。次男はデュエルのカードを部屋じゅう並べ、なにやらニヤニヤ。長男は台所に立つ妻から「もっと丁寧に書きなさい、やりなおし!」といわれ、ベソをかきながら漢字の宿題に取り組んでいます。そこには我が家の普段のなにげない風景が展開されていました。あ~あ。きれいにしておいた部屋もすっかり散らかって…。
でも、ぽっかり空いていた穴がふさかったような気がします。家族がそろって元気で過ごせることは当たり前のようで、当たり前でない、これこそ本当の「福」であることを気づかせてくれた三男の「お多福かぜ」騒動でした。
すみれ組と電車に乗って西山公園にいきました。はじめて電車に乗る子もいて、みんな、おおはしゃぎ。乗り合わせたおばあちゃんたちが目を細めて「かわいいの、どこの子やの」。今にも担任が「みんな座って!」といいそうだったので(当たり前ですが)、「前に行こう!運転してるとこ、見よう」と誘いました。昔から電車の運転台の後ろは子どもの特等席ときまっています。「はや~い!」「鉄橋や!」かわいい声援を受けて、初老の運転士さんも、誇らしげな笑顔です。
子どもたちが普段乗っているマイカーは、いわば「移動する我が家」。ボーッとしていても、騒いでいても目的地に着きます。でも、「移動する公共空間」である電車はそうはいきません。マナーがあります。何番めの何駅でおりるのか、自分たちは今どこにいるのか、考えていないといけません。毎日、電車に乗っている都会の子とマイカーばっかりの田舎の子、一概にどっちがいいとはいえませんが、少なくとも、生活に必要な頭の回転数は格段の差だと思うのです。
何よりも、車窓に流れる風景や色んな人たちとの触れ合い…電車には、車では得られない楽しみがありますよね。