はやい靴

「その靴、メッチャはやいんか?」
 朝いちばん、私の新しい赤い靴に気がついた男の子。<そうやで、このクツ、すごく速んやで。鬼ごっこ、だれも逃られんでな… >って答えると、「しゅんそくよりはやいんか?」「ほんとに!」目をキラキラ輝かせます。きょうもがんばろう。
 いつも夕方に園庭でウロウロする私。なにが楽しいって、赤ちゃんから学童まで、日々、その子の育ちが手に取るように見えるのです。
 お迎えにきて、抱っこされて帰るだけだった子が歩きはじめて、「ん、んっ」って指さして園庭に寄って遊ぶように。親と二人の世界で遊んでいた子がやがてお友だちと絡む。たまに私のところにきて「たかいたかい」「かたぐるまして」。さらに、「まてまてぇってして」と鬼ごっこに加わっているつもりに。追いかけるのにも段階があって、追う格好だけの二歳児。ゆっくりの三歳児。四歳児からはほぼホンキ。五歳児になると全力疾走で追います。速く賢い学童たちとは頭脳戦にもなります。私もけっこう駆け引きを楽しんでいます。
 ふつうのオトナって、子どもにせがまれて鬼ごっこすると、大抵、10歩ぐらいで足を緩めませんか。その点、私はホンキでトコトン追いかけます。ここまで来たらもうだいじょうぶ…と、逃げる子が油断したときがチャンス。ぴったり後ろについていて、背中にそっと触れます。「わー、きてるし!」って、びっくり大喜び。ヤッタネ。
 二葉保育園の創始者である祖父は、黒い衣姿で園にやってきて、園児とよく相撲をとったそうです。昭和二十年前後のこと、子どもと遊ぶ男の人なんて、まずいないでしょう。「おい、かんちょうさんがきたぞ!」って、みんなが駆け寄って、ほんとに楽しかったでぇ、って、80歳を過ぎた元園児さんのお話。いまの園児のひいおじいちゃんです。  
 書と歌を詠んだ祖父は越後の良寛さんの生き方に憧れていました。子どもとホンキで毬つきを競ったとか、かくれんぼで朝まで隠れていたとか、二百年も前なのに当時の逸話がたくさん残っています。良寛さんにとって子どもの心は仏の心、子どもたちを尊いこそすれ、ごまかすなんて、考えられなかったのでしょう。
 子どものころ、ホンキで遊んだオトナがいた、大好きなオトナがいた、そんな思い出がその子に一生、何十年も、ずっと寄り添っている。ステキなことではないですか。私のお手本は祖父ですが、はるか昔の良寛さんに導かれているともいえます。
 
袖裏毬子直千金。「袖の中の毬は値千金だ」と漢詩にするほどホンキの、いい意味で「おとなげない」良寛さん。確かにクールです。私の赤い靴は値千金!と言いたいものです。(2021年6月)