かなしいときも

われらはほとけのこどもなり
うれしいときも かなしいときも
みおやのそでに すがりなん
帰りの会で歌う「仏の子供」。日本中の仏教園で歌われている曲で「みおや」(御親)は仏さまのこと。ところが子どもたち「みおやのそで」を「みのやのそれ」と発音します。訂正してもすぐに「みのや…」に。卒園生のパパやママも「みのや」でした?
玄関で飼っていた二羽のコザクラインコ、黄色のキーちゃんが死んでしまいました。八年めだから仕方ないのですが、突然でした。緑のミーくんが離れません。すみれ組がご本山に運んで「埋葬」しました。虫金碑(むしのおはか)の後ろに小さな墓標が立っています。やんちゃなキーちゃんにくらべ、おとなしかったミーくんは、キーちゃんを探すように鳴いています。かわいそうやな…と覗くみんな。キーちゃんの死…悲しい気持ちもまた、子どもたちを育ててくれているのかもしれません。
四歳児のとき、泣いて廊下を歩いていた私。「あら、どうしたの」と抱きしめてくれた先生がいました。水色のエプロン、濡らしていっぱい泣きました。洗濯せっけん?の匂い。今でも覚えています。担任でなくても、泣いている子を放っておけない、仏さまのような先生でした。横山先生。永遠の副園長として事務室の入口に写真が飾ってあります。
「やさしい人になりなさい」何万回言っても子どもはやさしい人になりません。悲しい、悔しい…マイナスの気持ちのとき、「悲しいね」「悔しいね」と受けとめ、寄り添ってもらった経験の積み重ねだけが、子どもをやさしい人に育てるのです。
「おめでとうございます!」朝一番にY田先生。「え!?なにが?」「今日、結婚記念日ですよね」あ!また忘れてた。30周年だと気付いたのは、さらに二週間後。披露宴で恩師からいただいた祝辞「長年連れ添っている妻が、今でもこの世で一番、話がわからん人だ。生まれも育ちも違う、違いしかない二人が暮らすことが結婚であります…」じつに日々、その言葉をかみしめています。互いに違いを認め合う、夫婦の仲は人類平和の第一歩?まあ、いろんなことがありましたが、イイカゲンな私に付き合ってくれている妻には感謝しています。
「親子わくわく教室」があります。体をいっぱい動かして親子で遊ぶイベントです。運動不足?気が重い?だいじょうぶ、始まってしまえばみんなが笑顔。もっともっと、パパ、ママ、だーいすき!になります。お楽しみに-。