日向ぼっこ

祖父母の会にご参加いただいたみなさん、お疲れさまでした。お日さまポカポカ、最高の秋晴れ。「こっちきて!いっしょに遊ぼう!」園児の声が響く境内。きっと仏さまもニコニコでしょう。おばあちゃん、折り紙じょうず!おじいちゃんの紙飛行機、すごい!お孫さんも見直したことでしょう。お弁当も、おいしかったですね。

「日向ぼこ おじいちゃんここ いっしょして」

日向ぼっこは冬の季語。ここにいっしょに座って!私は二歳か三歳。明治28年生まれで肩を張って生きてきた70歳の祖父の、孫とやわらかな時間を過ごす喜びが伝わってくる句です。

祖父の居間には家具調のカラーテレビが鎮座していました。新聞のテレビ欄に「カラー放送」のマークがあった頃で、値段を調べたら19万円。当時の大卒初任給が2万8千円ですから、給料7カ月分、百万円!の感覚です。孫のために買ったことを、後で母ら(・)から聞きました。

夕食後はおじいちゃんと過ごす時間。本宅までの長い廊下を私たち兄弟が走ってくる、障子を開ける、「坊、きたか!」と満面の笑顔で迎えてくれました。いつも日本各地の銘菓が山積みで、もう、楽園以外の何ものでもない。ウルトラセブンやタイガーマスクを大画面(といっても、たぶん20型)で楽しんでいました。

「お上(おかみ)」と周囲から崇められる祖父の膝に座って来客を眺めていた私。天皇陛下と総理大臣の次に偉い人だと思っていました。子育てに厳格だった父と意見の相違もあったようですが、とにかく、私たちにはやさしさしかない存在でした。嫌いな算数、友だちとのイザコザ…いろいろあっても、いつでも無条件で受け入れてくれる、ほっこりする日向(ひなた)みたいな存在。晩年、祖父が寝たきりになったとき、枕元で何か言いたげ…耳を近づけると、弱々しい声で「お菓子あるざ…」もう、涙があふれました。亡くなったのは高校二年のときでした。

山登りに例えれば、お父さんお母さんは目前の急坂を上るのに必死。明日のこと、明後日のこと、来月の予定…わが子のため、こうすべき!どうしても視野が狭くなり、ときには急ぎすぎることもあるでしょう。祖父母はいわば下山中です。昔は見えなかった景色も、今はよく見えるでしょう。俯瞰して、時には上手にアドバイスしてあげてください。お孫さんの「明日」ではない「今」と、いっぱい付き合ってあげてほしいです。

たぶん、園で私はおじいちゃん的な存在なのでしょうね。子どもたちとずっと一緒に過ごしている先生たちは、今を大切にしながらも、常に先を考えないといけない。その点、通りすがりの私は、求めに応じて遊ぶ余裕があります。先生たちの邪魔しないよう、ちょっと気を使います。

同級生が順調にジイジバアバになっています。彼女の「か」の字も聞こえてこない息子たちです。祖父母の会の率直な感想を言います。けなるいのぉ。