「つ」のつくうちに。
ムシムシ、梅雨のお天気が続きます。ぐだ~って、なりがちの大人、疲れを知らない子どもたち。元気やなぁ…と、眺めていた私。駆け寄ってくる男の子。「よーいどんしよっ!」よーし、いくぞっ。園児は毎日、こうして私の殻を破ってくれます。ありがたいです。
大きくて、広くて、丘みたいに盛り上がった背中。やっとこさっ、とりついて、しがみついて、よじ登る。肩にのったら、おっとっと…両手で顔にしがみつく。ちょうど目隠し。「みえないぞぉ」と父。思い出の断片です。
昭和ヒトケタ生まれにして、希少な子煩悩。叱るときはコワイけど、遊ぶときは実に楽しい父親でした。自称、日本でいちばん子どもと遊ぶ園長の遺伝子は父から受け継いだものです。
親子わくわく教室、かつては「父親学級」と呼ばれる、主にお父さんがヘトヘトになる日でした。平成のはじめ、世はバブルの余韻でまだ浮かれていました。仕事はクルクル回って、お金もクルクル回って、当時のお父さんたちは仕事と付き合いで連日午前さま、お母さんは子育てと仕事の両方の負担。子どもと遊ぶ、台所に立つ、ましてやオムツを替えるお父さんなんて、ほぼ皆無でした。そんな時代に「父として、このままではいけない」と当時の役員さんたちが講師を呼んで開いたのがこの行事のはじまりです。
いまは令和。お母さんの参加も増えて、親子のスキンシップ、親同士の交流をうながすゲームが中心。キツかったら、代打に立ちますよ!って、私はお手伝いする気満々でしたが、出番なし。そのかわり、カメラでステキな表情がいっぱい撮れました。保護者のみなさん、しっかりお子さんに向き合っていて、とても頼もしく感じました。
一つ、二つ…八つ、九つ。親子がぴったり寄り添えるのは年齢に「つ」のつく期間。ゴールデンタイム、黄金の9年間と、呼びましょうか。今しかできないことを、いっぱい楽しんでください。
父は還暦あたりから糖尿になりました。小さくなった背中に孫たちを乗せることはほとんどありませんでした。私もそんな歳。95人の「孫」が乗る背中です。まだ、がんばらないと。