跳べなかった私
春ごろから夕方の境内で十数人の小学生たちが遊ぶようになりました。ほとんどが卒園児、いわばホームグラウンドです。高学年なので長くは続かないでしょうが、お寺で群れる小学生、微笑ましいです。
「こーしんちゃん、とびねや」「とべるって」今度こそ跳ぼう、うーん怖い、よーし、跳ぶぞ、、うっ、ムリ。本山の御堂の欄干の外側に立って、ためらう私。たまに夢に出てきます。
昭和40年代後半、あの頃は本山の境内で野球や鬼ごっこ、かくれんぼ、縁の下の探検… 毎日、手足を真っ黒にして遊んでいました。やんちゃな子たちの間で、御堂の欄干(縁側の柵)の外側からジャンプ、地面に着地する「度胸だめし」みたいなのがありました。よくまあ、あんなことをしていたものです。境内は冒険、挑戦のステージでした。
「やんちゃ」でない私は結局、跳べなかったのです。「君はもう一歩が踏み出せないんだ」受験のとき、高校の先生から言われたときも、あのときを思い出しました。跳ぶ勇気がなかった、いや、跳ばなくてよかった、意識の底に残って、ときどき出てくる光景です。
先日、中国の高層マンションのベランダから4歳の子が傘をさして飛び降り、幸い一命をとりとめたというニュースがありました。トムとジェリーをみて真似をしたそうです。高所平気症-。何十階建てのいわゆるタワマンでは生活空間と外界は高速エレベーターによって隔てられています。眼下の風景は数十メートル下なのに、あたかも居間に飾られた絵のように、高さの怖さを感じない「高所平気症」になってしまうそうです。その上でこの子が動画ばっかり見ていたとしたら、現実とアニメの世界がわからなくなったのかもしれません。戸建てや低層では戸を開けたら外ですから、「ごはんだから中に入りなさい」「雨ふってきたよ」「はーい」となるわけで、実体験の数だけでも雲泥の差になります。
昭和育ちの私たちは、子どもの頃にいっぱい「やばい」経験を積んできたわけです。園庭にあるアスレチックは平成仕様。ほどよい高さになっています。吊り橋で脚がすくんで動けない1歳児さんは、ごく正常な発達だといえるでしょう。
すみれ組と西山公園にいきました。4年ぶりです。ゴトンゴトン…揺れる揺れる、ちっちゃい電車。電車に初めて乗る子が半分ぐらい。すべてが新鮮、「踏切や!」プラレールに乗っている気分かな。「わぁ!高い!」橋は川の上を飛んでいるみたいだね。西山公園では茶色い蛇を見つけ、大きなトンビが近づき、クジャクの羽根は全開、レッサーパンダの食事をみて、展望台まで駆け上がり、美味しい楽しい手作りお弁当を堪能しました。帰りの電車はオレンジ色のフクラム。快適な乗り心地。「すずしー!」「はやーい!」。百点満点のピクニックでした。「たのしかったー!」「今度は水族館にいこう!」って…おうちで連れて行ってあげてください。なんなら、電車でも行けますよ。乗り換え一回、子ども510円です。1時間半も?乗れて、菊人形のモノレール二回分より安いです。
物心ついてからずっとコロナ禍で育った子どもたち、今年こそ、たくさんの実体験を。できるかぎりのドキドキとワクワク、そしてビックリを贈りたい、そう思っています。